スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

失われた時を求めて8 第五編 囚われの女 - マルセル・プルースト 

du_temps_perdu08.jpg


失われた時を求めて8 第五編 囚われの女 - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


    アルベルチーヌとの同棲生活
    パリにおけるヴェルデュラン家の晩餐会
    シャルリュス氏の決定的な凋落

今までの巻も分厚かったですが,この巻は最厚ではないでしょうか.しかも,文章の濃さというか,文の比重のようなものが一段と重くなっていて,一文一文が気を抜けない巻になっています.そのせいで頁の進みが一段と遅くなってしまい,読破するのにかなり時間がかかりました.しかし,いよいよ佳境といった感じで話が盛り上がってきます.

※以下,ストーリーの概略が書いてあるので,知りたくない方は進まないで下さい.

続きを読む

スポンサーサイト

失われた時を求めて5 第三編 ゲルマントのほう II - マルセル・プルースト 

du_temps_perdu05.jpg


失われた時を求めて5 第三編 ゲルマントのほう II - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)



 この巻の後半は,ほとんどがサロンでの晩餐会の描写であり,少し飽きるところもありますが,実は重要な場面があちこちにちりばめられていて,手を抜けないセクションなのであります.
 
 最初に衝撃的な話が挿入されます.それは「私」が愛していた祖母の死です.ここでは,祖母のベッドの周辺で,おなじみの女中頭のフランスワーズ,第一巻からキーポイントで現れるコタール医師の奮戦(会話は下品だが,腕は確かな医師)が展開されます.「私」の愛する人の死を目の前にした比較的客観的な,淡々とした描写がかえって心を揺さぶり,最後の場面では,こちらも泣きそうになりました.

 また,ここでゲルマント公爵がお見舞いにやってきますが,家柄や躾よってもたらされると思われる礼儀正しさに「私」は感心しながらも,形式的で空気を読めないお馬鹿さにうんざりし,この印象が後の話の伏線となります.
 
 次は,サン=ルー(ロベール)の彼の恋人との別れ.彼女は,駆け出し女優であり,自分の意見をしっかり持ち,会話も楽しいものでありましたが,元は娼婦であり,女友達は娼婦のような娘ばかりでした.また,確かに会話は楽しいものであったが,やはりレベルが低いと感じてきます.サン=ルー自身はまだ付き合う気でいたようですが,一族からの大反対,モロッコへの赴任(陸軍所属)などもあり,サン=ルー本人も徐々に冷めていきます.

 その次にアルベルチーヌとの再会が挿入されます.前回の出会いでは,彼女の家を訪問し,具合が悪く彼女がベッドで休んでいる状態で,「私」がモーションをかけ,軽くあしらわれました.今回は逆の状態です.「私」の具合が悪く,自分のベッドで休んでいるときに,彼女が現れ,今度は彼女の方が迫ってき,肉体的接触があります.

 しかし,第一印象の,男子特有の一方的な身勝手な(笑)憧れはすでになくなっており,全面的に彼女を愛せる心境ではなくなっているようですが,悪い娘ではないし,今後も彼女との関係が続くことを「私」は予想します.これも次の章以降につながっていく重要なエピソード.


 これからは,本書の一つの山場である.晩餐会の描写が始まります.
 「私」は高級官僚の息子であり,貴族ほどではないにしろ家柄も悪くないので,貴族やブルジョワのサロンに通され,やがて,文学や歴史,芸術に明るい人気者になり,憧れであった貴族のサロンに頻繁に出入りするようになります.ここでは,ゲルマント夫妻の叔母にあたるヴィルパリジ夫人の晩餐会,ゲルマント公爵夫妻の晩餐会に出席します.

 しかし,あれほど憧れていたゲルマント公爵夫人や高貴な秘儀のように思っていた大貴族のサロンへの熱はすでに冷めています.確かに,大貴族達にはブルジョワや帝政貴族の人達にはない個人的な資質以外としか考えられない家柄や血筋の良さ,躾の良さなどが態度や会話に現れていて,それらの面では関心させられることも多いが,他方,会話の内容は,スキャンダルと,他のサロンの様子,あれやこれやのうわさ話,素人レベルの芸術作品の評価などばかりで,「私」は彼らかは学ぶことは何もないと思いながら,サロンの様子を描写していきます.
 

 その後,次の章の内容の伏線となるシャルリュス氏(ゲルマント公爵の実弟)宅への訪問の場面があります.

 「私」は他人に聴かれないように耳元で「23時に来てくれ」と氏に誘われ,ゲルマント公爵夫妻に引き留められながらも彼を訪問しました.しかしそこでは,明確な理由もなく,ゲルマント夫妻に今夜の訪問のことを話したことなどをひどく咎められ,「私」も憤慨して口喧嘩状態となります.しかし,氏は「今夜限りでもう会うことはないでしょう」などと「私」に絶縁の言葉をぶつけながらも,「最後の夜だから,一緒に散歩をしよう」などと別れが惜しいような態度をとり,「私」を混乱させます.「私」も彼の性格,性癖をうすうす感づいていったところで氏と別れます.

 
 また場面が変わり,後日「私」はゲルマント大公(ゲルマント公爵とは別人)のサロンに出かける前に,ゲルマント公爵夫人を訪ねます.それは”「私」にもゲルマント大公からサロンへの招待状が届いたがそれが誰かのからかいではないか”と心配して,彼女に確かめてもらいという軽い訪問でありましたが,そこで偶然に付き合いがなくなっていたシャルル・スワンに再会し,彼の病身に驚くことになります.スワンと公爵,公爵夫人の会話,「私」達の訪問前に公爵を訪れていた彼の親戚によって知らされた彼の従兄弟の重篤な症状,それを傍聴していた「私」の印象を含め,このちょっとした訪問が重要なエピソードとなります.

 この後,実は全員がこの後のゲルマント大公のサロンに招かれていること,スワン自信が己の死の予兆を感じながらも,重要な用件を聴くために大公夫妻に会いに行くこと,前半でも現れたゲルマント公爵の馬鹿加減,従兄弟の最後の日よりも,晩餐会とその後の仮装舞踊会への参加を優先する社交感覚(もちろん喪に服すよりも自分が楽しみたいから),その彼に同調し一見享楽的に見えるが,実は人を気遣う繊細な心も持ち合わせた公爵夫人の心境,特にスワンへの大変な労りなどが描写されます.

 
 ここまでが大雑把なあらすじです.
 
 Wikipediaのフランスの歴史辺りを少し読んだので,サロンの会話の中で語られる王家,貴族の拝啓や洒落などが少し理解できるようになって,嬉しいです.貴族やブルジョワのサロンへの参加というのはもちろん経験がなく,実感がわかないですが,日本で言えば,明治の頃の華族の主催する舞踊会,財閥社長の主催する舞踊会,各国大使が主催するパーティに,いろいろな話のネタを持っている外務省の事務次官,局長の息子が出席するみたいな感じでしょうか.
 
 あー,さらっと書くつもりがやっぱり長くなってしまいました.次の章はいきなり衝撃的な場面の描写から入っていくようです.


/* リンクとか */
 フランスの歴史 - Wikipedia


/* おまけ */
最近の麻生太郎自民前幹事長のインタビューに,
「政治家の感性っていうのは麻生の生まれとか育ちとか、そういったものだけで決めつけがちだが、国民は別の感性で麻生太郎をみているんだと思う」
という言葉があったらしいですが,これは,上に述べたような社交界における”わかる人”と”わからない人”の差に類似しているように思いました.

失われた時を求めて3 第二編 花咲く乙女たちのかげにII - マルセル・プルースト 

du_temps_perdu03.jpg


失われた時を求めて3 第二編 花咲く乙女たちのかげにII - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


 前巻「花咲く乙女たちのかげにI」の最後の舞台から引き続き,ノルマンディのリゾート地「バルベック」での生活模様.

 この巻は…,

初巻で既に(名前は明かされなかったが)重要人物として登場に,後々のにも更に重要人物になっていく「シャルリュス男爵」が,キザな,誰が会ってもとっても嫌な印象を持つ風情で登場し(初めて紹介された時の握手の仕方がとっても嫌だ),その彼は「私」があこがれる「ゲルマント家」の人間であることがわかり,

私の友人となる「ロベール・ド・サン=ルー」もまたゲルマント家の人間であるが,自分が身分の高い貴族であることを忌み嫌っており,貴族であることを表に出さずにいろいろと私に親切に接し親友になるが,彼の叔父であるシャルリュス男爵を「とてもエレガントで,シックで,若い頃はファッションリーダーだった人」と尊敬しているという話に私は混乱し,

私が海岸で見かける乙女たちの一団(あくまで”一団”)に恋をし,

まだ売れていない若い頃にヴェルデェラン夫人のサロンで寵愛されていた画家「エルスチール」と知り合うことができ,そこで絵画芸術の素晴らしさに感動し(前の巻では音楽芸術の素晴らしさに感動してた),偶然にも「スワン夫人(=オデット・ド・クレイシー)」の過去に関する重大な過去を知ってしまうことになり,

実はエルスチールと乙女たちの一団は知り合いであることがわかり,私は彼女たちを紹介してもらえるようにいろいろと知恵を絞り,

願いが叶って彼女たちを知り合うことができて,心の中で狂喜乱舞し,

特に,ブルジョワの裕福な家庭で育ち,頭が良く,面倒見も良いのだが,病弱で”私ととても似ている”「アンドレ」と,孤児であり、どちらかというとあまり恵まれた環境で育ったとは言えないが,どこかチャーミングで人を引きつける「アルベルチーヌ」と仲良くなり,いろいろと若い妄想と若気の至りな失敗をやらかしてしまい,

バルベックもとっくに夏が過ぎて寒い季節に入り,避暑に来ていた人々,友人たちも各々の本拠地に帰っていき,私もやろうとしたができなかったあれやこれやのことが思い出され,心残りを抱きながらバルベックを離れていく

…というお話.


 私は,病弱なのにやっぱり思春期真っ直中で,悶々と妄想してしまうところが面白い(でも,女性が読んだらあまりに男性中心なので嫌になるかも).アルベルチーヌが一番好きと言っておきながら,”ダメなら他の娘でもいいや”とか言っている.

 今までの編でもそうだったが,編の終わりのまとめに入る?箇所の表現,私の思考の表現が素晴らしい.たった一つの事柄に対して斯くもいろいろな比喩ができるものか.

 それにしても,ユダヤ人の友人(悪友?)「ブロック」とその家族は,とことんダサくてバカな人々として書かれている.日本人にはピンと来ないが,やはりユダヤ人というのはそういう風に見られていたのか?

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。