失われた時を求めて 参考リンク集 

一部ネタバレ注意です.本書を読み進めていく上で参考にしたり,当時の雰囲気を味わったりしました.もちろんWikipediaも,とても参考にさせていただきました.感謝.

  文学とお茶のある生活~河上雅哉の書斎~

  テントの中のスナフキンさんの”Turning/Turning Back”

  marcel_proustさんの”Proust+ プルースト・プラス”

  絵画とピアノのサロン|**19世紀パリの美女たち**

  ~ちひろの空想美術館~

  Quartier Latin(フランス語簡単講座有り)


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失われた時を求めて10 - 第七編 見出された時 - マルセル・プルースト 

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失われた時を求めて10 - 第七編 見出された時 - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房


  ジルベルトの館に滞在した私
  第一次世界大戦中のシャルリュス氏
  ゲルマント大公夫人邸での午後のパーティ

長い時を経て,最終巻にたどり着きました.ここはクライマックスと言うより第一次世界大戦と”私”のサナトリウムでの生活のために長い間会うことのできなかった各登場人物のその後,そして”私”の”仕事”である長編文学作品執筆における目指すべき方向のひらめき,そして”見出される”と言うより,”時”の中に”見出すべきもの”が語られています.

不思議なことですが,本巻では今まで見られて長い形容詞を含んだ珠玉の文章表現は影を潜め,やや断定調の文体になります.これは,本巻の主題である”私”の決意表明的な要素が多く含まれているためなのかもしれません.

この巻の内容については今回も詳細には述べないつもりですが,これから本書を読もうと思っていて,あらすじを知りたくない方は,”続きを読む”をクリックしないで下さい.

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失われた時を求めて9 - 第六編 逃げさる女 - マルセル・プルースト  

”いつでも万事に用意のよかった彼女が,出かけようかと私が尋ねたとき,それは彼女が最後の手紙で,「あれは二重の黄昏だったのですもの,夜が降りてこようとしていた上に,私たち二人も別れようとしていたですからね」と呼ぶことになるあの悲しい日だったが,その肩にフォルトゥニのコートを引っかけたのだった.”



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失われた時を求めて9 - 第六編 逃げさる女 - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


  アルベルチーヌの出奔とその後
  ヴェネチア滞在の実現
  友人サン=ルー,幼なじみジルベルトと”私”との関係

いよいよ物語のクライマックス,完結編の始まりです.
場面描写がぐっと少なくなり,”私”の心理描写に重点が置かれた一文も手を抜けない濃密な文章となります.そのためか読み進むのが遅くなってしまいましたが,それほど大変さを感じませんでした.逆に読み落すのが勿体ないくらいでした.

この巻は,物語の起承転結の転に相当する箇所なので.今回はあまりあらすじは書かないようにしたいと思います.

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失われた時を求めて8 第五編 囚われの女 - マルセル・プルースト 

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失われた時を求めて8 第五編 囚われの女 - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


    アルベルチーヌとの同棲生活
    パリにおけるヴェルデュラン家の晩餐会
    シャルリュス氏の決定的な凋落

今までの巻も分厚かったですが,この巻は最厚ではないでしょうか.しかも,文章の濃さというか,文の比重のようなものが一段と重くなっていて,一文一文が気を抜けない巻になっています.そのせいで頁の進みが一段と遅くなってしまい,読破するのにかなり時間がかかりました.しかし,いよいよ佳境といった感じで話が盛り上がってきます.

※以下,ストーリーの概略が書いてあるので,知りたくない方は進まないで下さい.

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失われた時を求めて7 第四編 ソドムとゴモラ II - マルセル・プルースト  

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失われた時を求めて7 第四編 ソドムとゴモラ II - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


    ラ・ラスプリエールにおけるヴェルデュラン家の晩餐会
    シャルリュス氏の性癖と凋落の始まり
    アルベルチーヌとの冷めた関係

 本巻は,前巻から続いて,バルベックの周辺,カンブルメール家から借りている景色の良い別荘「ラ・ラスプリエール」において幾度となく開かれるヴェルデュラン家の晩餐会/サロン,そこに向かう軽便鉄道,馬車の中の様子,馬車や自動車を使った「私」の散策,「グランドホテル」の様子などが舞台となります.

  ・・・

 「私」は,芸術に関する興味深い会話のでき,人から嫌われる欠点もなく,敵の少ないなどの理由から,すっかりサロンの人気者になっています.

 晩餐会では,小さな”核”の主催者=ヴェルデュラン夫妻,ゲルマント公爵の実の弟=シャルリュス氏,駄洒落は下手で下品だが腕が立つ医師=コタール(今は教授になり,かなり偉くなっている),老人文学者のブリショ(教授?),ラ・ラスプリエールの所有者である田舎貴族=カンブルメール伯爵夫妻らの面白い/interestingな会話,見栄の張り合い,嫌みの応酬が繰り広げられます.


 シャルリュス氏は,軍の音楽隊に所属している若い「モレル」を気に入ってしまい,何とか彼を自分の傍に置いておこうしてと,彼が所属する貴族階級よりも遙かに下の階級であり,身分的には人間的にも芸術的にも取るに足らない人達(但し「私」は除く)の集まりであるヴェルデュラン家の晩餐会に度々顔を出したりして,甲斐甲斐しい努力をしています.

 ちなみに貴族(ヴェルデュラン夫人に言わせれば”やりきれない人達”)嫌いのヴェルデュラン家の人々は,彼があの「ゲルマント家」の人間であるとは想像だにしていません.
 シャルリュス氏自身が「自分の兄はゲルマント公爵である」と言っても,「まあご冗談を」くらいにしか思っていません.


 シャルリュス氏は,”やりきれない人達”とは正反対の歴史や文化,芸術に精通した非常に高尚な会話を繰り広げ,ヴェルデュラン夫人に益々気に入られます.

 ここでの彼は,周辺の人々には自分がソドムの性癖を持つ人間であるとは気が付かないだろうと高を括っているのですが,その性癖は自分の気づかないうちに会話の端々から漏れ出てしまいます.また,彼の知らないうちの噂話が世間に広まっていて,ついにヴェルデュラン夫人のサロンにも到達し,歴史のある,位の高い貴族である彼が,周囲の人から少しずつ蔑みの目で見られるようになっていきます.


 アルベルチーヌとは,まだ付き合っています.どう読んでも「私」は,完全に彼女のことを愛していないのですが,晩餐会や散歩に付き合わせ,恋人のように振る舞います.また,アルベルチーヌも彼を大切な人と思っている”よう”です(「私」の考えしか語られていないので,本当に彼女がそう思っているかはわかりません).

 最後は,アルベルチーヌの「私の女友達はヴァントゥイユ嬢の友達だわ」と言う発言から,「私」は,アルベルチーヌがゴモラの住人ではないかという前々からの疑惑を更に深めていきます.ヴァントゥイユ嬢は,第一巻で「私」が覗き見をしている知り合い(彼女は「私」を知っているかどうかはわかりませんが,少なくとも”ご近所さん”)です.

 「私」は彼女をその女友達に会わせまいと考えて,無理矢理一緒にパリへ連れて行ってしまおうと決心し,近頃祖母にだんだんと似てきた「私」の母に「彼女と結婚しなければなりません」と見得を切ったところで終わります.

 ちなみに,「私」がバルベックに来た目的である,ロベール・ド・サン=ルー(数少ない友人.ゲルマント公爵夫人の甥)に紹介してもらったステルマリア嬢(「私」は最初成金ブルジョワの娘と勘違いしていたが,実は貴族)に会うことは,結局実現しません.

  ・・・

 最初からそうだったのですが,この巻から「私」の,”超”我が侭ぶりが大きくなってきます.上記のように,本当はもうアルベルチーヌを愛していないのに,外出や晩餐会に付き合わせたり,束縛しようとしたり,「君が必要なんです」と言ってみたり「もう君を愛していないが…」と言ってみたりと,とんでもない奴になっています.

 晩餐会での談笑では,フランスの地名の由来に関する話が延々と続くのですが,この辺りはフランス語がわからず,ヨーロッパの歴史にも疎い私には,脚注の助けを借りても辛い箇所でした.また,詩や舞台のセリフ,流行りの音楽を引用した例えやパロディなども同様でした.

 このような風景描写とその頃の新聞,公文書,音楽作品,舞台作品,絵画などを研究すると,それだけで長い人文学研究論文を書けてしまえそうなヴォリュームです.20世紀初頭前後のフランスの風俗に興味がある方は別ですが,この辺りは流して読んでも,物語の大きな展開の把握には差し障りが無いと思います.


 作品全体を通して共通することですが,この作品では,ある場面の幕開けには,「私」の時間,土地に関する考察や,心境などに関するある種哲学的な思考に関する文章が挿入され,その場面の終わりにまた同じような(但し,その場面を経験した影響を受けて考え方や心境が変化している)文章が現れるという形式が多いです.

 場面の本体では,「私」は周囲の状況の”観察者”になっていることが多く,状況描写に徹したような間延びした物語なっている場合が多いのですが,上記の場面の始まりと終わりにとても考えさせられる,「なるほどっ」と唸ってしまう奥の深い文章が展開されているので,要注意です.

 だからといって,その要注意部分だけ読んでも感銘は得られず,あくまで,異様に細かい状況描写を通じて,あたかも私(読者)が「私」と同じ体験をする必要があり,その体験を共有して初めて,哲学的な思考の正確さ,奥の深さを実感できるものだと思います.ちなみに私は所謂「哲学書」,「人生の指南書」の類の書物は好きではありません.

 単に”良いこと”,”役に立つこと”,”人生の真理と思われること”を述べるのは比較的簡単だからと思うからです.「みんな,わかっているけど,できないから苦悩しているんじゃないかあ」ということです.実際の経験や物語を通して得られたものでないと,納得できないし,本当に役に立つかどうか怪しいと考えてしまうと思います.

 その点,本作品は「私」と一緒に実際の場面を体験し,「私」と一緒に心境の変化,新しい”真理”のようなものを読みことができるので,その辺りの哲学書よりはよっぽど役に立つ哲学書ではないかと思っています.


※おまけ1
 また,この作品全体で「習慣」という単語が良く出てきますが,これは「惰性」とか(悪い意味での)「慣れ」とかの意味に捉える方が,日本語の感覚に合っている気がします.

※おまけ2
 修飾語が多くて非常に一文が長く,段落分けもない本書は,かなり読みにくい作品ですが,実は原書はこれよりも一文が長く,本邦訳版でも,一文を短くしてあるそうです.鈴木道彦邦訳では,更に読みやすく工夫してあるらしいので,初めて読む場合はそちらを選択した方が良いかもしれません.
 私は,少しでも原書の雰囲気を味わいたいと思い,井上究一郎邦訳版を選びました(最初に買おうと思ったとき,鈴木道彦邦訳はまだハードカバーしか出ていなかったという理由もありますが・・・).



失われた時を求めて6 第四編 ソドムとゴモラ I - マルセル・プルースト  

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失われた時を求めて6 第四編 ソドムとゴモラ I - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


    シャルリュス氏の秘密,ソドムとゴモラの世界の幕開け
    バルベックへの2度目の旅立ち,祖母の思い出,母への想い
    バルベックでの生活,アルベルチーヌへの疑惑

本巻は,前巻の最後の方で仄めかされていた(前巻では跳ばされていた)衝撃的なシーンで幕を開けます.それはシャルリュス氏の裏の姿を「私」が覗き見して知ってしまうシーンです.

タイトルはご存じのように旧約聖書に出てくる都市の名前ですが,これが何を意味しているのかは予想できますよね? シャルリュスは,その住民だったのです.それどころか本巻では,その都市の住民が多数出現,或いは仄めかされます(一部,「私」の思いこみもあります).

最初の衝撃的なシーンの後は,本来の時間軸に戻って,ゲルマント大公夫人のパーティの様子を描くシーンに戻ります.ゲルマント大公夫人は,ゲルマント公爵夫人とは別人であるので注意です(貴族ものはこういうのが多くて困ります.位が上がって途中で名前が変わることもありますし).親戚関係ではあります.

このシーンでは,前巻でのゲルマント公爵夫人のパーティのような相変わらず中身の無い会話,おべっかや虚勢,親類の不幸よりも楽しみにしているパーティへの出席を優先するゲルマント公爵の姿,各人に対する「私」の印象,洞察などが描かれます.このシーンで重要なポイントは,スワンとゲルマント大公(大公夫人の夫)との会話でしょう.ここが,本書のテーマの一つであるドレフェス事件に関する転換点になります.


やりきれないパーティの後,「私」は4月上旬の肌寒い時期からノルマンディの保養地「バルベック」へ旅立ちます.2回目の訪問です.ここでいきなり「心情の間歇」という,亡くなった祖母の思い出を通して己の心の動きを深くえぐった,少し陰鬱なシーンが描かれます.祖母の臨終のシーンの回想では,またもや涙してしまった自分です.この「心情の間歇」というセクションは,少し哲学的な考察(時間とか記憶とか…)に満ちています.

「心情の間歇」の後は,バルベックの2度目の滞在体験が描かれてます.1度目の滞在では,一見さんの金の無い客とあしらわれていた感じですが,2度目は完璧です.上客として恭しく対応されます(それについてもいろいろ皮肉を思う「私」ではありますが).

そして,恋人アルベヌチーヌも近くの別荘にやってきて,「私」と一緒に過ごしますが,すでに「私」は彼女を心から愛してはいません.それでも時々彼女を呼び出したりして,とんでもないヤツです.

”愛していない”というのは語弊があるかもしれません.恋愛初期の燃え上がる時期が過ぎて,落ち着いた時期(倦怠期?)に入ったのかもしれません.この辺りはいろいろな角度から読めるかと思います.自分は,愛していないわけではないとしたら,ちょっと言葉の攻撃が過ぎるのではないかと感じました.それだけ彼女から愛されているのか? 彼女のことはどうでも良いのか? どうせ「私」の金目当てだと思っているのか?などの「私」の理由があるのかもしれません.

その内に「私」は彼女も旧約聖書の都市の住民でなかろうかと疑いだし,苦しみます.彼女を愛していないような態度,心情を述べているにもかかわらず変ですね.独占欲なのでしょうか? もう愛していないがかつて愛した人なのでそのような都市の住民であって欲しくないという欲なのでしょうか? それともまだ愛しているのか?

最後には「私の嫉妬は,急にやむことになった.」という曖昧な文章で本巻の終わりを告げます.


読んだ感想としては,心情の間歇部分がやや難解だし,バルベックでの生活描写もやや飽きる感じでしたが,この巻も,シャルリュス氏,スワンとゲルマント大公の会話,ソドムとゴモラの出現という重要なポイントが散りばめられ,その部分はかなり面白く読み進めることができました.

ちなみに「シャルリュス」と言う名は,英語やフランス語ではそのままソドムの住人,嫌なヤツなどの隠語として使われることもあるようです(読んだことのない人には何のことやらサッパリですね).

また,著者「プルースト」の実の人生を知ると,”なるほどね~”とか”そうだったのか!”と驚くところが増え,面白く読み進められますが,あえてここでは明かさないことにします.


失われた時を求めて5 第三編 ゲルマントのほう II - マルセル・プルースト 

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失われた時を求めて5 第三編 ゲルマントのほう II - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)



 この巻の後半は,ほとんどがサロンでの晩餐会の描写であり,少し飽きるところもありますが,実は重要な場面があちこちにちりばめられていて,手を抜けないセクションなのであります.
 
 最初に衝撃的な話が挿入されます.それは「私」が愛していた祖母の死です.ここでは,祖母のベッドの周辺で,おなじみの女中頭のフランスワーズ,第一巻からキーポイントで現れるコタール医師の奮戦(会話は下品だが,腕は確かな医師)が展開されます.「私」の愛する人の死を目の前にした比較的客観的な,淡々とした描写がかえって心を揺さぶり,最後の場面では,こちらも泣きそうになりました.

 また,ここでゲルマント公爵がお見舞いにやってきますが,家柄や躾よってもたらされると思われる礼儀正しさに「私」は感心しながらも,形式的で空気を読めないお馬鹿さにうんざりし,この印象が後の話の伏線となります.
 
 次は,サン=ルー(ロベール)の彼の恋人との別れ.彼女は,駆け出し女優であり,自分の意見をしっかり持ち,会話も楽しいものでありましたが,元は娼婦であり,女友達は娼婦のような娘ばかりでした.また,確かに会話は楽しいものであったが,やはりレベルが低いと感じてきます.サン=ルー自身はまだ付き合う気でいたようですが,一族からの大反対,モロッコへの赴任(陸軍所属)などもあり,サン=ルー本人も徐々に冷めていきます.

 その次にアルベルチーヌとの再会が挿入されます.前回の出会いでは,彼女の家を訪問し,具合が悪く彼女がベッドで休んでいる状態で,「私」がモーションをかけ,軽くあしらわれました.今回は逆の状態です.「私」の具合が悪く,自分のベッドで休んでいるときに,彼女が現れ,今度は彼女の方が迫ってき,肉体的接触があります.

 しかし,第一印象の,男子特有の一方的な身勝手な(笑)憧れはすでになくなっており,全面的に彼女を愛せる心境ではなくなっているようですが,悪い娘ではないし,今後も彼女との関係が続くことを「私」は予想します.これも次の章以降につながっていく重要なエピソード.


 これからは,本書の一つの山場である.晩餐会の描写が始まります.
 「私」は高級官僚の息子であり,貴族ほどではないにしろ家柄も悪くないので,貴族やブルジョワのサロンに通され,やがて,文学や歴史,芸術に明るい人気者になり,憧れであった貴族のサロンに頻繁に出入りするようになります.ここでは,ゲルマント夫妻の叔母にあたるヴィルパリジ夫人の晩餐会,ゲルマント公爵夫妻の晩餐会に出席します.

 しかし,あれほど憧れていたゲルマント公爵夫人や高貴な秘儀のように思っていた大貴族のサロンへの熱はすでに冷めています.確かに,大貴族達にはブルジョワや帝政貴族の人達にはない個人的な資質以外としか考えられない家柄や血筋の良さ,躾の良さなどが態度や会話に現れていて,それらの面では関心させられることも多いが,他方,会話の内容は,スキャンダルと,他のサロンの様子,あれやこれやのうわさ話,素人レベルの芸術作品の評価などばかりで,「私」は彼らかは学ぶことは何もないと思いながら,サロンの様子を描写していきます.
 

 その後,次の章の内容の伏線となるシャルリュス氏(ゲルマント公爵の実弟)宅への訪問の場面があります.

 「私」は他人に聴かれないように耳元で「23時に来てくれ」と氏に誘われ,ゲルマント公爵夫妻に引き留められながらも彼を訪問しました.しかしそこでは,明確な理由もなく,ゲルマント夫妻に今夜の訪問のことを話したことなどをひどく咎められ,「私」も憤慨して口喧嘩状態となります.しかし,氏は「今夜限りでもう会うことはないでしょう」などと「私」に絶縁の言葉をぶつけながらも,「最後の夜だから,一緒に散歩をしよう」などと別れが惜しいような態度をとり,「私」を混乱させます.「私」も彼の性格,性癖をうすうす感づいていったところで氏と別れます.

 
 また場面が変わり,後日「私」はゲルマント大公(ゲルマント公爵とは別人)のサロンに出かける前に,ゲルマント公爵夫人を訪ねます.それは”「私」にもゲルマント大公からサロンへの招待状が届いたがそれが誰かのからかいではないか”と心配して,彼女に確かめてもらいという軽い訪問でありましたが,そこで偶然に付き合いがなくなっていたシャルル・スワンに再会し,彼の病身に驚くことになります.スワンと公爵,公爵夫人の会話,「私」達の訪問前に公爵を訪れていた彼の親戚によって知らされた彼の従兄弟の重篤な症状,それを傍聴していた「私」の印象を含め,このちょっとした訪問が重要なエピソードとなります.

 この後,実は全員がこの後のゲルマント大公のサロンに招かれていること,スワン自信が己の死の予兆を感じながらも,重要な用件を聴くために大公夫妻に会いに行くこと,前半でも現れたゲルマント公爵の馬鹿加減,従兄弟の最後の日よりも,晩餐会とその後の仮装舞踊会への参加を優先する社交感覚(もちろん喪に服すよりも自分が楽しみたいから),その彼に同調し一見享楽的に見えるが,実は人を気遣う繊細な心も持ち合わせた公爵夫人の心境,特にスワンへの大変な労りなどが描写されます.

 
 ここまでが大雑把なあらすじです.
 
 Wikipediaのフランスの歴史辺りを少し読んだので,サロンの会話の中で語られる王家,貴族の拝啓や洒落などが少し理解できるようになって,嬉しいです.貴族やブルジョワのサロンへの参加というのはもちろん経験がなく,実感がわかないですが,日本で言えば,明治の頃の華族の主催する舞踊会,財閥社長の主催する舞踊会,各国大使が主催するパーティに,いろいろな話のネタを持っている外務省の事務次官,局長の息子が出席するみたいな感じでしょうか.
 
 あー,さらっと書くつもりがやっぱり長くなってしまいました.次の章はいきなり衝撃的な場面の描写から入っていくようです.


/* リンクとか */
 フランスの歴史 - Wikipedia


/* おまけ */
最近の麻生太郎自民前幹事長のインタビューに,
「政治家の感性っていうのは麻生の生まれとか育ちとか、そういったものだけで決めつけがちだが、国民は別の感性で麻生太郎をみているんだと思う」
という言葉があったらしいですが,これは,上に述べたような社交界における”わかる人”と”わからない人”の差に類似しているように思いました.

失われた時を求めて4 第三編 ゲルマントのほう I - マルセル・プルースト 

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失われた時を求めて4 第三編 ゲルマントのほう I - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房


 読み終えてからだいぶ経ってしまいましたが,失われた時を求めての(たぶん)山場の第4巻を読了しました.
 ノルマンディのリゾート地”バルベック”から,帰ってきた後のパリのゲルマントの館(主人公の一家が入居したアパルトマン)と,友人サン=ルーが入隊している部隊が駐屯しているドンシエールという田舎町を舞台しております.

 主人公が成人し,第一次世界大戦前(日露戦争の頃,19世紀末)のパリの社交界(サロン)に出入りし始める頃です.「真っ盛り」と言っても相変わらず病弱で,マザコンで,外でみんなでわーわーとテニスとか”しない”青春です.また,その頃にフランスで起こった実際の政治的事件「ドレフュス事件」が登場し,社交界,世間をドレフュス派,反ドレフュス派に二分し,それぞれの派が主張を戦わせます.

 主人公の成長とともに,子供っぽい思考が少し大人っぽい思考になり,共感できるところが増えてきて楽しかったです.それにこの巻の始めの方で,主人公のあこがれとして描かれていたゲルマント公爵夫人(大公夫人というのも登場しますが別人です)に,最後の方では別の気持ちを持ったり,サロンそのものに対しても実際に関わってみた主人公の印象が述べられていきます.また,サン=ルー(イイ奴です)の恋とそれに対する主人公の考察なども絡んでいきます.最後の方では,またまた謎の人物シャルリュス氏が登場して,主人公を困惑させていきます.

 それにしても,文章の各所に散りばめられた深い洞察に満ちた言葉,哲学的な思考.今までもそうでしたが,この小説は言葉が(良い意味で)濃密過ぎます.このような文章はどうしたら書けるのか?,また訳せるのか?,二度目の没入でこの小説の凄さを実感しています.


ドレフュス事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%A5%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6