失われた時を求めて6 第四編 ソドムとゴモラ I - マルセル・プルースト  

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失われた時を求めて6 第四編 ソドムとゴモラ I - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


    シャルリュス氏の秘密,ソドムとゴモラの世界の幕開け
    バルベックへの2度目の旅立ち,祖母の思い出,母への想い
    バルベックでの生活,アルベルチーヌへの疑惑

本巻は,前巻の最後の方で仄めかされていた(前巻では跳ばされていた)衝撃的なシーンで幕を開けます.それはシャルリュス氏の裏の姿を「私」が覗き見して知ってしまうシーンです.

タイトルはご存じのように旧約聖書に出てくる都市の名前ですが,これが何を意味しているのかは予想できますよね? シャルリュスは,その住民だったのです.それどころか本巻では,その都市の住民が多数出現,或いは仄めかされます(一部,「私」の思いこみもあります).

最初の衝撃的なシーンの後は,本来の時間軸に戻って,ゲルマント大公夫人のパーティの様子を描くシーンに戻ります.ゲルマント大公夫人は,ゲルマント公爵夫人とは別人であるので注意です(貴族ものはこういうのが多くて困ります.位が上がって途中で名前が変わることもありますし).親戚関係ではあります.

このシーンでは,前巻でのゲルマント公爵夫人のパーティのような相変わらず中身の無い会話,おべっかや虚勢,親類の不幸よりも楽しみにしているパーティへの出席を優先するゲルマント公爵の姿,各人に対する「私」の印象,洞察などが描かれます.このシーンで重要なポイントは,スワンとゲルマント大公(大公夫人の夫)との会話でしょう.ここが,本書のテーマの一つであるドレフェス事件に関する転換点になります.


やりきれないパーティの後,「私」は4月上旬の肌寒い時期からノルマンディの保養地「バルベック」へ旅立ちます.2回目の訪問です.ここでいきなり「心情の間歇」という,亡くなった祖母の思い出を通して己の心の動きを深くえぐった,少し陰鬱なシーンが描かれます.祖母の臨終のシーンの回想では,またもや涙してしまった自分です.この「心情の間歇」というセクションは,少し哲学的な考察(時間とか記憶とか…)に満ちています.

「心情の間歇」の後は,バルベックの2度目の滞在体験が描かれてます.1度目の滞在では,一見さんの金の無い客とあしらわれていた感じですが,2度目は完璧です.上客として恭しく対応されます(それについてもいろいろ皮肉を思う「私」ではありますが).

そして,恋人アルベヌチーヌも近くの別荘にやってきて,「私」と一緒に過ごしますが,すでに「私」は彼女を心から愛してはいません.それでも時々彼女を呼び出したりして,とんでもないヤツです.

”愛していない”というのは語弊があるかもしれません.恋愛初期の燃え上がる時期が過ぎて,落ち着いた時期(倦怠期?)に入ったのかもしれません.この辺りはいろいろな角度から読めるかと思います.自分は,愛していないわけではないとしたら,ちょっと言葉の攻撃が過ぎるのではないかと感じました.それだけ彼女から愛されているのか? 彼女のことはどうでも良いのか? どうせ「私」の金目当てだと思っているのか?などの「私」の理由があるのかもしれません.

その内に「私」は彼女も旧約聖書の都市の住民でなかろうかと疑いだし,苦しみます.彼女を愛していないような態度,心情を述べているにもかかわらず変ですね.独占欲なのでしょうか? もう愛していないがかつて愛した人なのでそのような都市の住民であって欲しくないという欲なのでしょうか? それともまだ愛しているのか?

最後には「私の嫉妬は,急にやむことになった.」という曖昧な文章で本巻の終わりを告げます.


読んだ感想としては,心情の間歇部分がやや難解だし,バルベックでの生活描写もやや飽きる感じでしたが,この巻も,シャルリュス氏,スワンとゲルマント大公の会話,ソドムとゴモラの出現という重要なポイントが散りばめられ,その部分はかなり面白く読み進めることができました.

ちなみに「シャルリュス」と言う名は,英語やフランス語ではそのままソドムの住人,嫌なヤツなどの隠語として使われることもあるようです(読んだことのない人には何のことやらサッパリですね).

また,著者「プルースト」の実の人生を知ると,”なるほどね~”とか”そうだったのか!”と驚くところが増え,面白く読み進められますが,あえてここでは明かさないことにします.


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