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失われた時を求めて8 第五編 囚われの女 - マルセル・プルースト 

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失われた時を求めて8 第五編 囚われの女 - マルセル・プルースト
井上究一郎訳 - ちくま文庫版(筑摩書房)


    アルベルチーヌとの同棲生活
    パリにおけるヴェルデュラン家の晩餐会
    シャルリュス氏の決定的な凋落

今までの巻も分厚かったですが,この巻は最厚ではないでしょうか.しかも,文章の濃さというか,文の比重のようなものが一段と重くなっていて,一文一文が気を抜けない巻になっています.そのせいで頁の進みが一段と遅くなってしまい,読破するのにかなり時間がかかりました.しかし,いよいよ佳境といった感じで話が盛り上がってきます.

※以下,ストーリーの概略が書いてあるので,知りたくない方は進まないで下さい.

始めにアルベルチーヌとの同棲について語られます.前巻に引き続き彼女への気持ちは冷めている「わたし」ですが,母親等には「将来結婚するから」とか言っています.時代,国,階級が違うからこのような状況の中の気持ちを共感することは難しいのですが,婚前同棲というのは普通だったのでしょうか(もしかして現在もそうなのかも).同棲といっても,「わたし」はお坊ちゃんですし,彼女もそれなりの階級に属するので,食事とか身の回りの世話は,使用人頭であるフランスワーズがします.

それにしても,冷めているくせに,彼女の行動をいろいろ疑い,見張りを付けたり,外出の妨害をしたりといろいろと苦悩している「わたし」の気持ちはよくわかりません.ただただ快楽と嫉妬だけなのかもしれません.これについてははっきり語られていませんが,牛乳配達の娘を窓から見かけて,いろいろと妄想する場面があるので,案外ソレだけなのかもしれません.この牛乳配達の娘の一件もそうですが,「わたし」は,どうやら「コスチュームフェチ」のようです.牛乳配達の娘や,ケーキ屋の娘,農場の娘達との妄想場面が何度も出てきます.

また面白いのが,同棲と言っても,寝室は別で,寝るまでは「わたし」の部屋で過ごしますが,寝るときは宛わられた彼女の寝室(本当は父親の書斎)に帰っていきます.これは「わたし」が非常に神経質であるからかもしれません.

この後,この巻のメインであるパリにおけるヴェルデュラン家の晩餐会に突入します.ヴェルデュラン家の晩餐会はこの物語の中で何回も描写されていますが(ということほぼこの物語の背骨),今回は重要な事件が起こります.今回の晩餐会は,その芸術的センスの良さ(但し本人の体型は情けないことになっているが)と話題の豊富さで前巻からヴェルデュラン家のメンバに加えられたシャルリュス氏が,プロデューサーになって会を取り仕切ります.メインの出し物は,彼の”お気に入り”であるヴァイオリン奏者モレルを全面に押し立てた音楽会です.

音楽会自体は成功裏に終わるのですが,その前後のシャルリュス氏の態度,彼が招待した客の態度が問題でした.おそらくシャルリュス氏は調子に乗りすぎて魔が差したのでしょう,女主人の顔を立てることなく,自分の才覚の素晴らしさとモレルの自慢話に終始しています.また,彼が招待した客達も自分たち貴族とは階級の違う女主人=ヴェルデュラン夫人に挨拶をすることもなく,お礼を言うこともなく立ち去っていきます.

しかし,ただ一人だけ彼女に挨拶に行った夫人がいました.それはシャルリュス氏の親戚関係の中でもすこぶる地位のあるナポリ王妃マリー・ゾフィーでした.これは,ヴェルデュラン夫人の評判を上げることができる場面だったのですが,皮肉なことに女主人はこの王妃のことをまるで知りません.逆に「何だこの女は?」という態度をとってしまい,逆に以後女主人の評判を下げることになります.

このようなことが数々起こり主宰者であるヴェルデュラン夫人は怒り心頭してしまい,今回のプロデューサーであるシャルリュス氏に怒りの矛先が向けられます.

すでに精神的に不安定であったモレルにシャルリュス氏に関する悪い噂を伝えて,彼と仲違いさせることに成功します.当のモレル自身も悪い噂の仲間なのですが,今の軍楽隊所属の立場を崩されたくない彼は,このままでは自分の立場も危うくなると感じたのでしょう,女主人の話に乗せられて(納得して?),シャルリュス氏から離れ始めます.また,当然,ャルリュス氏はこの女主人と(その仲間達と)は絶交です.若いときの遊び人時代からだんだんと世間の評判の坂を下っていってしまった彼の晩年の最後の楽しみであった人物と居場所を一気に奪われてしまいます.

もう一つの大きな事件は,その音楽会を鑑賞していた「わたし」の中に起こります.それは,例えば,Led ZepplinのStairway To Heavenの歌詞の意味のような,芸術的見方に対する覚醒と言ったら良いか・・・.本当の意味で”音楽を聴く”,”絵を観る”意味を見いだすような感覚です.これは物語中での「わたし」の言葉が一番的確かと思われますので,ぜひ味わって頂きたいです(ちょっと自分でうまく表現する自身がないので・・・).

晩餐会の後は,またアルベルチーヌとの生活が語られます.「わたし」は彼女の言葉の端々に彼女がゴモラの女である証拠,「わたし」に内緒で遊びまくっている証拠を次々と見つけ出し,思い悩んでいきます.そしてとうとう「わたし」は,彼女と別れる決心をしたのですが・・・.

というようなお話です.こうやってあらすじだけを追っても,この物語の凄さを語ることはできないということは重々わかっておりますが(この小説の凄さは文章そのものです),無理矢理まとめるとこんな感じです.それにしても,最後のどんでん返しがドカーンと来ました.修飾語,たとえ話の多い小説の中で,なんの前触れもなくあっさり短い文章で切り込まれてくることも手伝って切れ味抜群でした.


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